東京・千葉を拠点に活動する「Marquee Marblish BAND」。
 (マーキー・マーブリッシュ・バンド。略してマーマーバンド)
 そのダイナミックなハーモニーと、チトゆるい愉快な会話に彩られたステージは、
 老若男女オーディエンスを選ばない。


  

■豪 宙太 / ヴォーカル・打楽器・篠笛・フルートなど
本名:鈴木 豪志(すずき・たかし) 血液型:A

合唱部出身でコーラスハーモニーに親しむ。中学時代、本当はバンドでギターをやりたかったのにジャンケンで負けてドラムをやる羽目になる。ハードロックバンドからジャズセッションまで多くの経験を積みつつ、地元の友人・チャオと活動を共にする。
1994年にスタジオジブリ映画「平成狸合戦ぽんぽこ」の音楽制作に打楽器奏者として参加、同年「CIAO(のちに Marquee Marblish BAND)」を結成。元・上々颱風の後藤まさるとユニークな打楽器デュオ「そいんじゃ」を結成、この頃から様々な楽器に手を出し始める。歌謡曲歌手「あさみちゆき」、山野さと子&増田裕子による「花唄」、クラシック歌手「吉武大地」、沖縄音楽「金城賢&サラバンジ」、ゴスペルグループ「Before Sunset」等、あらゆるジャンルのアーティストの演奏に参加。2011年、一郎・水谷美月と共に「cocolo'ne」を結成。

『熱き魂と溢れるアイディアを秘めた当代きってのひねくれ者』


■チャオ / ヴォーカル・ギター・ハーモニカなど
本名:長塚 寿生(ながつか・ひさお) 血液型:O

地元・千葉県野田市の音楽仲間の豪宙太と共に「プノンペン・ビート」「Gypsy's Wild」などのバンドで活動。機会あるごとに謎の企画バンド等に多数参加し、全然似ていないフレディー・マーキュリーやプレスリーになった過去もある。役者として芝居にも出演し、舞台根性を鍛えられる。
1994年「CIAO(のちに Marquee Marblish BAND)」を結成。
その後、お笑い芸人・しのざき美知との共作「YOZORA」が『さんまのまんま』(フジテレビ)のエンディングテーマに採用されるなど、エンタメ業界で暗躍する。東日本大震災で大きな被害を受けた町の一つ、宮城県南三陸町で活動している子供達だけの音楽サークル「サンシンズ・ジュニア」と、ひょんな縁で交流を持つようになり、音楽の存在意義を再発見する。その想いを届けるため、「太陽もかなわない」「短冊、花しぐれ」などを作詞し、活動20年を越えたマーマーバーンドをリードする。

『決め台詞は・・・、夫にしたい男・ナンバーワン! チャオです!』


■一郎 / ヴォーカル・ギター・キーボード・ウクレレなど
本名:塙 一郎(はなわ・いちろう) 血液型:B

10代からバンド活動を続け、20才でギタリスト・CM音楽制作やアレンジャーのキャリアをスタート。1992年「Pierce」でメジャーデビュー、1994年「CIAO(のちに Marquee Marblish BAND)」に加入。
「TOKIO」「椎名へきる」「パパイヤ鈴木」「南條愛乃」他多数の歌手に楽曲を提供、自身のヴォーカルでも「NHK・むしまるQ」「広島東洋カープオフィシャル応援歌・それ行けカープ」などを発売。「カルメンマキ」「上々颱風」「夏川りみ」「相原ひろ子」などの作品にレコーディング、サウンドプロデュースで参加。2011年、豪宙太・水谷美月と共に「cocolo'ne」を結成、2012年には「Sister MAYO with カラテブラボー」に参加。
現在はビクターミュージックアーツ所属のプロデューサーとして様々な音楽制作に携わりながら、「田原俊彦」「木内秀信」「泉見洋平」などの歌手のサポートミュージシャンとしても活躍、フィラデルフィアソウルグループの雄・スタイリスティクスのアルバム「カヴァー・ウィズ・スタイリスティックス」で、ビリー・ジョエルの「アップタウン・ガール」の編曲を担当。

『超インドア派な音楽なんでも屋、でも一番好きなのはハモる事』


■クリスタル・ささキング / ヴォーカル・ベース・ギターなど
本名:佐々木 真佐也(ささき・まさや) 血液型:AB

13歳でアコースティックギターにハマる。その後ベースに転向し、大学在学中に本格的に演奏活動開始。また、カントリーバンドに参加し都内近郊のライブハウスやBar、米軍施設などで演奏したのをきっかけに「Unbelieveable World」に加入、並行して自作の曲で弾き語り活動も開始。30代の時に渡米しサンフランシスコ周辺でバンド活動。帰国後も「Dear Friends」「SWAMPS」「El Fontanera」など多くのバンドや、ブルース・カントリー・ファンクなどのルーツミュージック系を中心に多数のセッションに参加。
2003年から Marquee Marblish BAND にサポートベーシストとして参加、2007年に正式メンバーになる。シンガー・ソングライター「彩」のデビュー・シングル『七つの海』でサポート演奏とアレンジに参加、2013年12月から翌1月までの「NHK・みんなのうた』で放送された。

『予想の裏を行くリアクション、江古田の夕陽が似合うダンディボイス』

 



  

 マーマーバンド20年の軌跡


▼1993年
ハードロックバンド「Gypsy's Wild」で活動していたチャオと豪宙太がフォークデュオ「プノンペン合唱隊」を結成。地元千葉県野田市のギタリストYUTAKAがそこに参加。豪宙太がベースを担当、ドラムに若林竜丞を招いた4人編成で「プノンペン合唱隊」初ライブ。池袋サイバーにて。

▼1994年
YUTAKAが2年前に「Pierce」でデビューした時の相方・一郎をバンドの練習に誘う。数曲のセッションで意気投合、一郎は参加を即決。豪宙太は本職のドラムに復帰し、バンドは本格的に活動をスタートさせる事になった。
バンド名を「CIAO」に改め、2月に「チャオ・豪宙太・YUTAKA・一郎」の4人とサポートベース・寺本典夫での初ライブを池袋サイバーにて行う。記念すべき1曲目に演奏されたのは「She's No Angel」。
バンド名を「CIAO」にしてしまったため、チャオは本名の「HISAO」と呼ばれるようになるが、仲間内では皆「チャオ」と呼び続けたので非常に紛らわしい状態がしばらく続く。
バンドは「全員が演奏とボーカルと作曲者を兼ねる」というコンセプトを持つようになる。歌う人間が多いため、時に暑苦しいほどのコーラスハーモニーが最大の特徴になっていく。キャッチフレーズは「愛と涙のCIAO劇場」。
3月、当時恵比寿にあったギルティに初出演。サポートベースにKOTOBUKI。以降、数年に渡りほぼ毎月出演するなどギルティがホームグラウンドになる。ライブ当日、初めての録音音源「CAIO 1」を発表。
翌4月のライブで続けざまに「CIAO 2」を発表(結局、この年のうちに「CIAO 5」まで制作)。この日からサポートベースに岩前伸亮(後に「SisterMAYO with カラテブラボー」「田原俊彦バンド」で一郎と活動を共にする事になる)。以降約1年半、同じメンバーラインナップでのライブを続ける。

▼1995年
「CIAO 6」〜「CAIO 9」を順次発表。その後の主要レパートリーになる「の・さ・ば・れ」「赤とんぼを追いかけて」「Talk About You」「出港」「Different Road」等のオリジナル楽曲が多数この頃までに作られる。
ストリートでもライブを展開、徐々に固定ファンを増やして行く。
また、小芝居とセットの「豪宙太&ザ・ズッキーニ」というコーナーを定例化、これをきっかけにアコースティックギターとコーラスハーモニー中心のサウンドも大きな持ち味の一つになった。
ファンクラブ「CIAO 友の会」発足。
テレビ朝日の音楽バラエティ番組「えびす温泉」に出演、元チェッカーズの鶴久政治に推薦・応援されるも勝ち抜けず。演奏楽曲は「鉄人とハーモニカ」。
9月、岩前が活動から離れ、変わって三木孝がサポートベースで参加。
千葉県野田市文化会館脇にあった芝居用テントステージにて、仲間のミュージシャンや役者をゲストに招いての初ワンマンライブ。このライブをきっかけに、エンターテインメント色がさらに増していく。
12月、音楽プロダクション・アニマックに所属する事になる。

▼1996年
三木がプロデュース業に専念するため後任ベーシストとして野田市の音楽仲間・西村直樹がパーマネントメンバーとして加入。ライブ活動と並行して1stアルバム「CIAO」の制作開始。
しかし6月、西村が上々颱風のサポートメンバーの仕事で多忙を極めるようになったため、アルバム完成と同時に脱退。一郎がギターからベースにコンバート、4人でのバンド形態になる。
アルバム「CIAO」(メデュームレコード)発売。東京・大阪などでライブ、さらにインストアイベント等への出演が増える。
プロモーションビデオ「ハイ!マーチ」制作、以後多くの斬新かつB級な魅力溢れる映像ネタをメンバーの自力制作で生み出し、事あるごとにライブに彩りを添えていくようになる。
恵比寿ギルティでの初のワンマン・コンサートを決行、満員御礼となる。

▼1997年
ゲストプレイヤーなども招いて2ndアルバム用音源「常磐フリーウェイ Part2」等をレコーディング、プロモーション用映像作品「地球防衛軍・野田支部」まで制作したものの、アルバムは未発表に終わる。
所属事務所をアニマックからABカンパニーに移籍。都内以外の近郊ライブハウスでの出演が増える。
「CIAO 友の会」会員向けグッズとして「ハナマル二郎のズキズキズッキーニ」というAMラジオショー仕立ての音源を制作。ファンの間だけでなく、業界人にも話題になる。
その後、新メンバーとしてボーカル&ベースの白神ミコトが加入、高い歌唱力とブリティッシュロック風味のメロディーでバンドに新風を吹き込み、コーラスハーモニーのクオリティは一段とアップする。一郎はギターに復帰し5人編成に。

▼1998年
NHKの子供向け科学番組「むしまるQ」収録の楽曲「おしえてティラノサウルス」を一郎リードヴォーカル&他メンバーのバックコーラスによる録音で日本コロムビアから発売。現在でも高い人気を誇る。
「アミューズメント・ミュージック」をキーワードに、東京・名古屋・京都・大阪・岡山など各地へのライブツアーを2度敢行。関東近郊でのライブやイベント出演の回数もさらに増える。伝説の「懐中電灯ショー」解禁、他にも意表を突く演出を次々と編み出していく。
移動式遊園地のようなイメージを強化するため、バンド名を「Marquee Marblsih BAND」(略してマーマーバンド)に改名。ファンクラブ名も「まぁ一家クラブ」に改名(これでチャオは晴れて「チャオ」と呼んでもらえるようなった)。
9月、バンダイミュージックエンタテインメントよりアルバム「Marblish!」(ネットRPGゲーム「仙術超攻殻オリオン」テーマソングの「言葉のない町」などを収録)でメジャーデビュー。
アルバム発売に合わせた3度目のライブツアーを実施。
しかしその後、一身上の都合によりミコト脱退。またしても一郎はベースにコンバート、4人でライブを続行する。

▼1999年
所属事務所をヒロパブリッシャーズ(のちにヒットバイブに社名変更)に移籍。
新メンバーに京都の熱血シンガー・マグマ中西がボーカル&ギターで加入、5人編成に戻る。
ファンクラブ向け音源第二弾として、今度はFMラジオショー仕立ての音源「トロピカル親子の『長屋でトワイライト!』」を制作。
続いて、DJ鈴木しょう治プロデュースによるバンド始まって以来のダンスチューン「花・太陽・雨」(70年代の和製スーパーグループ「PYG」のデビュー曲のカバー)をレコーディング。全く畑違いのクラブイベントにも出演。
恵比寿ギルティーにてワンマンライブを開催、大盛況。しかし、マグマ中西が地元・京都に戻らなければならなくなり、脱退を表明。原宿ルイードでのライブを最後に、7年間に渡ったバンドの活動が一旦休止される事になる。

▼2000年
スケジュールをオープンにしない散発的な活動が1年近く続いた後、恵比寿ギルティーにてゲストに元・上々颱風のパーカッション後藤まさるを招いての再始動ライブ。しかし、結成以来活動を共にして来たYUTAKAは不参加を表明。
以後、ドラム&アコースティックギター2本というやや変則的な形態でのライブをインディーズで続けて行く。
チャオ・豪宙太・一郎の3人で初めてレコーディングした自家製ミニアルバム(以降通称「色シリーズ」と呼ばれる)「CAMEL YELLOW」を発表。1曲目の「ラクダで行こう」は、以後のマーマーバンドの方向性を決定づけている。

▼2001年
大久保ホットショットなどを中心にライブ。かつては年に30〜40本ほどだった本数を年10本程度に減らしてのマイペースな活動。
しかし3人の独特なアコースティックなサウンドには磨きがかかり始める。
色シリーズのミニアルバム「ORANGE BATHTIME」と「ROYAL GREEN TEA」発表。
また、お笑い芸人「飯塚俊太郎(ワハハ本舗)」女性コーラスグループ「ザ・ばっちり〜ず」などをゲストに招いたり、落語家「立川こしら」とコラボを企画する等の新機軸も披露。

▼2002年
マグマ中西と共に京都のバンド「Booing Boo」で活動していたベーシスト・壱岐均が、たびたび新幹線に飛び乗って東京でのマーマーバンドのライブにサポートで参加しに来てくれるようになる。
ミニアルバム「BROWN HOT DOG」発表。
壱岐も交えた4人で2度の名古屋遠征ライブ(藤が丘ウェストダーツクラブ)を敢行、マーマー流ミュージカル仕立てのステージが好評を博す。京都RAGにて「Booing Boo」とジョイントライブ。
カメラマン&デザイナーのジーコ主催のオムニバスアルバム「コラボレイトマジック」に参加。
「Goodbye Yesterday's Paper」「Dear Friend」を提供。

▼2003年
ミニアルバム「限りなく薄いブルーマウンテン」発表。
3度目の名古屋遠征ライブ(今池・得三)を行う。
その後、サポートベースとしてクリスタル・ささキングが合流(「クリスタル」は豪宙太が勝手に追加した部分で、長くて面倒なので省略される事が多い)。ライブによって3人編成だったりベース入りだったりという形態違いの活動を並行して行っていくが、徐々にベース入りのバージョンが増えていく。

▼2004年
大久保ホットショットにて、バンド結成10周年記念ライブを行う。メンバーそれぞれにゆかりのある友人ミュージシャンが多数参加、必ずマーマーの誰かを含めたスペシャルセッションを披露するという豪華で多彩なメニューで大いに盛り上がる。
9月、ジーコ主催のイベントライブ「コラボガーデン」に参加。

▼2005年
高円寺稲生座・江古田倶楽部・大塚エスペトブラジル・池袋フリーフローランチ等のささキング御用達の店でのライブが増える。
シングルCD「SAE-SAE-DIVER」発表。

▼2006年
各メンバーのバンド以外での活動が多忙になって行く中、ライブはコンスタントに続けられる。
結成以来毎年の恒例行事のように参加して来た千葉県野田市の七夕祭りステージに、初めてささキングを交えての4人で立つ。
久しぶりの恵比寿ギルティー出演、エレクトリックセットでロックサウンドに再トライしてみたりする。
そのいっぽうで、ライブの幕間での一郎と豪宙太によるアニソン&歌謡替え歌ショー「ザ・花びら」が恒例化する。

▼2007年
ミニアルバム「白のテーゼ」発表、初めてのチャオ主導(ドラム録りから歌録りまで!)による制作。
ささキングが初めてレコーディングにも参加。
数年来のマイペース活動は依然として続行される中、ささキングがバンドメンバーの一員としてボーカル&ベースで正式加入、4人組の現在のラインナップになる。以降、年月としてはバンドの歴史上、最長不倒の固定編成となる。

▼2008年
一郎と豪宙太がサポート演奏をしている歌手・泉見洋平とジョイントのライブを渋谷に移転したギルティーにて行う。マーバーバンドの「Swallow」と泉見の「あれから...」などの楽曲を共同で新録音、限定ミニアルバム(通称「シルバーシート」)として発売。
この年、日本人宇宙飛行士・星出彰彦さんがスペースシャトルで国際宇宙ステーション(ISS)に行く事になり、星出さんの中学・高校時代の友人だった塙裕介(一郎の実弟)が応援ソングを作曲。音楽は全くの素人である裕介は自分のメインボーカル以外の制作を兄・一郎に依頼、マーマーバンドが中心となって編曲&演奏。多数の友人ミュージシャンも参加してレコーディングされた「ロボットアームで抱きしめて」(タイトルは星出さんが宇宙ステーションのロボットアーム操作の第一人者であった事に由来)が完成。星出さんがISSに到着後最初に目覚めた朝にNASAからの通信でウェイクアップコールとしてこの曲が送られISS内で流れた。その様子は全世界同時中継で放送され、大きな反響を呼んだ。後にビクターミュージックアーツから配信発売された。
また、ミニアルバム「15年目のRED ZONE」を発表。現在のマーマーサウンドがほぼ完成した。

▼2009年
プロ球団・広島東洋カープが本拠地を「ZoomZoomマツダスタジアム」に移転するにあたり球場内音楽を一新、その全てを一郎が制作し、長い歴史を持つオフィシャル応援歌「それ行けカープ!」をはじめ「勝利を我らに〜Let's WIn〜」「カープ!カープ!カープ!」などをマーマーバンドとしてレコーディング、ビクターエンタテインメントから発売。
また、前年に制作された「ロボットアームで抱きしめて」が、TV番組「誰も知らない泣ける歌」(日本テレビ系列)で取り上げられ再び話題に。VAPレコードからCD発売された。
北千住ノックを中心としたライブ活動を続行。

▼2010年
この頃から時折「miu miu」「真森恵」「ケスケス」等の交流のあるアーティストとのジョイントライブも行う。
また、アコーディオンの日根野麻子を加えた5人で「常磐温泉ボーイズ」と名乗って昭和歌謡曲のカバーを披露するショーを展開。新橋SL広場でのストリート演奏ではあっという間に黒山の人だかりが出来てしまい、お巡りさんストップがかかってしまうも、集まったお客さんからの熱烈コールに応えてもう1曲やらせてもらった。
ささキング初のリードヴォーカル曲「Time Flies Like An Arrow」と、13年ぶりの再録となった豪宙太リードヴォーカルの「今宵、常磐フリーウェイ」をお客様感謝デー用グッズとしてレコーディング。

▼2011年
「コラボレイトマジック」(2002年)以来9年ぶりにジーコ・ノート主催のコンピレーションCDに参加。「八光空感(はちみつくうかん) シーズン2『ココロツナガリズム』」と名付けられた物語の朗読と音楽のコラボでストーリー「元カレ彼女」の音楽に「Swallow」「君への歌」「Bad Image」などを提供。他アーティストの制作にも全面協力。しかし、完成直後に東日本大震災が発生、発売記念ライブは延期になる。
震災の影響は大きく、多くのスケジュールが白紙・変更になったが、結果的に後々のマーマーバンドの活動の根幹にも影響を及ぼす事になる。
8月、延期になっていたコンピCD発売ライブが「ツナガリフェスはちみつ〜結んで開いて心繋いで〜」と銘打たれて開催され、水谷美月・有坂ともよ・並木のり子らと共にマーマーバンドも出演。

▼2012年
ミニアルバム「HAIIRO HERO」を発表。従来のハーモニー&アコースティックサウンドにプラスしてエレキギターも随所にフィーチャー、久しぶりの熱い音になった。
前年の震災後始まった被災地支援をきっかけに、チャオは宮城県南三陸町の子供達による三線グループ「サンシンズジュニア」との交流を深め、たびたび町を訪れるようになる。
チャオの思いを込めた新曲「太陽もかなわない」の制作が始まる。

▼2013年
南三陸町「福興市」にて、上々颱風のヴォーカル・白崎映美、野田の盟友・ますむらひろし&ハーツクラブバンドライブなどと共にライブを行う。「サンシンズジュニア」との共演も実現する。
新曲「太陽もかなわない」を披露。後に、町の子供たちが歌詞を自分たちの目線で書き換えた「サンシンズジュニア版・太陽もかなわない」も作られ、多くの新聞等のメディアで取り上げられる。
ワンマンライブ活動と並行して、一郎が長きに渡ってサウンドプロデュースを手伝っている沖縄出身の実力派デュオ「アキダス」をはじめ、「オクノクラモチ」「YAMAGISHI」等の若手アーティストたちとの共演のライブも展開。また、彼らと一緒にチャオがソロでもライブを開始する。

▼2014年
バンド結成から20周年の年は恒例のフリーフローランチライブ等、静かな活動が続いた。
しかし、これまた恒例になっている野田市七夕祭りの出演に際し、チャオが作詞し一郎が作曲した新曲「短冊、花しぐれ」をきっかけに20周年ライブに向けた機運が一気に高まり、11月15日、新宿ドリームストアにてワンマンライブを開催。たくさんのかつての仲間たちも集まっての20年の集大成、そしてマーマーバンドの「今」を、マーマーバンドを愛してくれる全ての人々に届ける。

 

 

 



 


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