
2001年5月15日3時53分
< 回想録・第二話 マーマーバンドにとっての鬼門 >
マーマーバンドにとっての鬼門、それは「ベース」である。
ユタちゃんが抜けるまでは、チャオと豪君と俺の四人は不動の布陣だったが、
結成以来7年半の間でベースプレイヤーは実に9人も入れ替わっている。
そして今や、我々はベース抜きのスタイルで活動している。
今回は、ここまでの変遷を振り返ってみるとしよう。
1993.12 〜
前回の第一話で少し触れたが、初代ベースは「豪宙太」その人であった。
しかし、そのステージを俺は見ていないのでコメントは控えよう。
いつの日か彼が自らの「ベース観」を語ってくれるかも知れない。
1994.3
二代目は、俺が参加した最初のライブで弾いてくれた「のりお君」という人物だ。
彼は、かつてチャオと豪君と一緒に「ジプシーズ・ワイルド」というバンドで活動していた、
野田の音楽仲間だ。
1994.4
三代目は、その次のライブ(その後の我々のホームグランドになる恵比寿の「Guilty」への初出演)
の時に参加した「寿(ことぶき)」という男。
いわゆるパンク系が専門で、ポップスを演奏するのは初めてだったが、なかなか善戦。
打ち上げの時、彼の恋人が「惚れ直しちゃった」とうっとりしていたのが印象的だった。
1994。5 〜
四代目は、俺の昔からの友人の「岩ちゃん」。
今や「田原俊彦」や演歌歌手のサポートまでこなしている仕事人。
彼は初期のマーマーバンドには欠かせなかった人で、一年半近くに渡ってステージを共にしていた。
1995.9 〜
五代目は、当時俺がやっていた女性アーティストの仕事の現場で知り合った「たかたん」。
マーマーバンドが初めてワンマンライブを野田のテントでやった時などに参加していた。
個人的に俺がものすごく好きなベース弾きだったが、
あまり真価が発揮されないうちに彼はベースそのものを辞めてしまった。
で、何と彼が我々のマネージャーになり、
彼の入ったプロダクションの仕切りで初めてのCD「CIAO」を作る事になったのだ。
1996.1 〜
ここで、ベースのパートを固定するためレギュラーメンバーとして加わったのが
六代目の男「西村直樹」。
野田きっての巨漢ベーシストで、独特のパフォーマンスも手伝ってバンドのレベルは
確実にアップしたが、何とCD完成と同時に脱退。
CDの全曲で演奏しているにも関わらず、ジャケットの写真には写っていない。
彼は現在、「上々颱風」で活躍している。
1996.6 〜
CD発売に伴うスケジュールも満載だったため、新たなメンバーを探すことを我々は断念。
ここで七代目ベースに「一郎」(つまり俺)を据える。
活動自体はやりやすくなり、この状態で一年以上続けたが、実際はかなりしんどかった。
今となっては結構ベースも楽しんで弾けるが、
当時はかなりの行き詰まり感に悩まされていた。
気持ちよく歌が歌えない場合がかなりあったのだ。
1997.10 〜
その後、我々は別のプロダクションに移る際、もう一度ベースを探し直したらどうかと提案される。
サウンド的にもやや煮詰まっていた我々はその意見に同意し、
デモテープを送ってきた「ミコト」を迎え入れる。
彼は本来は手持ちマイクで歌うスタイルのヴォーカルだったが、
根性でベースを弾きながら歌えるようになり、八代目の男になる。
この頃、あの「懐中電灯ショー」などのパフォーマンスが多く編み出され、
五人の個性を際立たせるための工夫が重ねられた。
そして翌年、メジャーデビュー作になる「Mablish !」の制作が決定したのだが...。
1999.2 〜
1998年9月、「Marblish !」が発売されたが、実はこのとき既にミコトは脱退を決めていた。
ツアーなども入っていたため、年内はそのままで活動を維持した。
四人に戻ることも考えられたが、同じ轍を踏まないために後釜を探すことになった。
そしてツアー先の京都で知り合った「マグマ中西」を東京に呼んだのである。
彼が九代目のベースになるはすだった。
が、彼は俺がベースにコンバートした時と同じ状況に陥ったのだ。
持ち味の熱血系パフォーマンスにも悪影響が出そうだった。
結局、俺が再びベースに戻り、俺のギターパートをマグマが担当する事になった。
ユタちゃんがマンドリンを取り入れるなど、
アコースティックなアプローチをバンド全体が始めていたため、
だいぶ俺も考え方を変える事ができ、今回は結構いい感じでベースに取り組めた。
その編成で演った原宿ルイードのライブなどは、
俺のささやかな音楽人生の中でもトップクラスの出来映えに思えた。しかし...。
1999.8 〜 2000.8
不景気の煽りで所属のレコード会社がアーティストのCD制作自体を中止すると発表。
マグマも京都に戻る事になった。
我ながらエネルギッシュなバンドだと思っていたマーマーバンドにも
さすがに休息が必要に思われた。
俺達は表立ったを一旦止める事にした。
結成以来常に鬼門となってきたベース問題も、その理由のひとつだったかも知れない。
2000.9 〜
マーマーバンドのない人生に俺は耐えられなくなっていた。
他の三人に声をかけたが、ユタちゃんは様々な事情で加わらなかった。
「ベースはどうする?」
「いいんじゃん? 無しで...」
「ドラムは?」
「有りで...」
「じゃ、どうせなら思いっきり自由にやろうぜ」
という感じで現在に至る。
再開後に作った二枚のCD「CAMEL YELLOW」と「orange bathtime」は、
我々が7年以上に及ぶ全てのプロジェクトの中で最も納得できる出来映えになった。
今では、この音に辿り着くために今までの全てがあったのだと思っている。
|